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大阪高等裁判所 平成3年(う)432号 判決

主文

本件控訴を棄却する。

当審における未決勾留日数中一一〇日を原判決の刑に算入する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人野洲和博作成の控訴趣意書記載のとおりであるから、これを引用する。

一  訴訟手続の法令違反の主張について

論旨は、任意同行した被告人を深夜まで執拗に取調べ、被告人に強く求めて旅館に宿泊させて監視したほか、令状なしにポリグラフ検査、所持品検査、身体検査をした一連の緊急逮捕前における取調手続には明らかに任意捜査の限界を超えた重大な違法があるから、この間に得られた被告人の自白を前提とするその後の逮捕、勾留も違法といわざるを得ず、捜査段階における自白調書及び被告人の自白に基づいて得られた各証拠は違法収集証拠として証拠能力を有しないのに、これらの証拠に証拠能力を認め、これを用いて原判示事実を認定した原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続の法令違反がある、というのである。

そこで検討する。

(一)  関係証拠によれば、次の事実が認められる。すなわち

(1)  平成元年一一月二四日午前一〇時四五分ころ、ホテル「甲野」の管理人から水口警察署に、同ホテル『乙山』の間(原判示第一、第二の犯行現場)のベッドのシーツなどに多量の血痕が付着していた旨の通報があったので、同署警察官が直ちに右現場に臨んで右事実を確認し、その後の捜査の結果前夜から所在不明である本件被害者A子が前夜同客室で傷害を受けあるいは殺害されたこと及び被告人がこれに関与していることが強く疑われたので、警察は、その生死が懸念されている同女を一刻も早く発見するためには被告人から速やかに事情を聴取する必要があると判断し、同日午後五時ころ被告人を水口警察署へ任意同行して同日午後一一時ころまで同女の所在などにつき取り調べた。被告人は「前夜郡民会館で同女と会い、男と会うという同女を同女の車で甲西駅まで送り、同女は男と共に同女の車で出掛け、被告人は男の車で朝まで待っていたところ、午前五時ころ男が同女の車で一人で帰って来て、『これから二人で旅行するので、車を処分してくれ』と言ったので同女の車の処分を業者に依頼した」旨供述した。しかし、警察としては、右供述には不自然な点が多く、右業者から任意提出を受けた車両の座席等に血痕が付着していること、さらに一一月二四日朝帰りした被告人が、普段と違って下着を洗濯機の中に入れていたことなどが判明したため、被告人が同女を殺害したか、あるいは、同女を監禁していると考え、被告人が同女を監禁している場合、被告人を帰宅させると、犯行の発覚を恐れて、同女を殺害して死体を隠してしまったり、あるいは自殺することもありうると危惧し、被告人を旅館に宿泊させるのが最良の方法であると判断し、被告人に対し旅館に宿泊するよう求めた。被告人もこれを強く拒絶する態度には出ず、警察官三人に伴われて旅館客室(一階)に到り、警察官から部屋の電灯を点けたままにしておくよう要求されたので、警察官から監視されていることは察していたものの、前夜眠っていなかったことや当日の農作業で疲れていたことから間もなく眠りに就いた。警察官は交代で二人が屋外から被告人を監視し、もう一人は被告人の部屋とは廊下を隔てた同旅館経営者の家族の居間(ここから被告人の部屋は見えない)で仮眠するなどし、二五日午前七時三〇分ころ警察の車で被告人を水口警察署に同行し、同八時ころから取調を始めた。被告人は前記と同様の弁解を繰り返すほか、不自然な点を追及されると黙秘するという態度に終始していたが、同日午後九時三〇分ころ殺人と死体遺棄の事実を自白するに至り、被告人が案内した死体遺棄現場で同女の死体が発見・確認されたので、警察は同一一時五五分その場で被告人を緊急逮捕した。

(2)  警察は、二五日午前八時三〇分ころ大津地方裁判所に対し、被疑事実を傷害とする被告人の自宅に対する捜索差押令状を請求したが、その疎明資料のうちホテル関係者、被害者の友人(被害者との最終接触者)などの供述調書(いずれも被告人の犯行を直接証明するものではない)は前夜のうちに作成していたものの、その他の書類は徹夜で作成したものが多い。

(3)  警察は、二四日午後一一時ころ被告人からの事情聴取を打ち切った後、被告人の手指の爪の間の血痕様の物を採取し(所論がいう身体検査とはこれを指すものと思われる)、二五日午前中被告人の着衣のポケットの中の物を提示させ、同日午後ポリグラフ検査をしたが、これらは被告人の同意のもとに行われたものであり、被告人は、右二四日夜の旅館宿泊についていったん渋った以外、同日及び二五日の任意の取調べを通じ、取調べを拒否することも、帰宅を申し出ることもしなかった。

(二)  原審は、被告人の捜査官に対する供述調書を採用するにあたり、平成二年一二月一一日付決定書において、本件における旅館宿泊を伴う取調に関し、右(1)とほぼ同旨の事実を認定したうえ、「好ましい捜査方法とはいえないが、捜査官が直面した緊急の状況及び強制的要素の程度などを勘案すると、未だ任意捜査として許容される限度を超えていない」旨説示しているところ、右説示は正当として是認することができる。

これに対し所論は、①「緊急的状況」については逮捕状の請求が可能であった、②「強制的要素」については旅館における監視状況は留置場に拘束されているのと実質的に何ら変わらない、として右決定の判断を論難する。しかしながら、①については、(2)のとおり、被告人を宿泊させた翌朝になって捜索差押令状の請求がなされているが、宿泊させる以前に緊急逮捕又は通常逮捕の要件が備わっていたといえるかどうかはかなり微妙であり、仮にその要件が備わっていたと事後的に判断できるとしても、二四日深夜において逮捕手続に踏み切ることを躊躇した警察の判断も十分理解しうるところであり、一般に逮捕の要件が備わっている場合であっても任意の取調べを行うことが許されないわけではなく、ただ、その場合取調べの任意性の確保に慎重な配慮を要するとともに、逮捕の時間的制約を潜脱したとの謗りを招かないよう留意する必要がある。本件における取調べの任意性については、(1)で認定したとおりであり、警察は一一月二四日午後五時ころから任意の取調べを開始し、同月二六日午後三時一〇分事件を検察官に送致しているから、右任意の取調べを違法・不当視することはできない。②についても(1)で認定した宿泊時の状況に照らし、所論のようにいうことはできない。

更に、所論は、令状もないのにポリグラフ検査等をした点も本件任意捜査の「強制的要素」を強める旨主張するが、ポリグラフ検査等が被告人の同意により行われたことは(3)で認定したとおりであり、このような捜査が行われたことを併せ考慮しても、本件の緊急逮捕前の一連の取調手続につき任意捜査として許容される限度を超えた違法があるとはいえない。

以上のとおりであって、論旨は理由がない。

二  事実誤認の主張について

論旨は、原判示第一につき強姦の犯意がなく、同第二につき殺意がなかったのに、これらを認めた原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認がある、というのである。

しかしながら、原判決挙示の関係証拠によれば、原判示事実は所論の点を含め優に肯認することができ、原判決が(弁護人の主張に対する判断)の項において説示するところもおおむね正当として是認でき、当審における事実取調べの結果によっても右の判断は左右されず、論旨は理由がない。

所論にかんがみ若干補足する。

1強姦の犯意について

所論は、原判決が「(被告人は)同女(A子)が任意に肉体関係に応じない事実を当然に予想し、その場に備えてスタンガン等を準備してモーテルに誘い込んだ」と説示しているが、被告人は、同女に対して、それまでの作り話を全て告白し謝罪して、右スタンガン等も隠し持ち続けることなく同女の前に差し出しているから、被告人はそもそもこれらの道具を使って強姦しようとする意思を有していなかったか、仮に事前にそのような意思を有していたとしても右の差し出しの時点でこれを放棄したとみるのが相当である旨主張する。

しかしながら、被告人がスタンガン等を使用するつもりであった場面として原審及び当審公判で供述するところはあいまいで説得力がなく、また、スタンガン等を同女の前に差し出したからといって初めから強姦の犯意がなかったとかその時点でその犯意を放棄してしまったともいえないから、所論は採用できない。

所論はまた、原判決は「現実に同女から抵抗されるに至ったので、スタンガンを使用して犯行に及ぼうとしたと認めるのが自然である」としたうえで、「同女をベッドに押し倒し、スタンガンを同女の右肩附近に押し当てて放電させたこと」をもって強姦罪における暴行と認定しているが、同女の衣類を剥ぐとか、抱きつくといった強姦の犯意を客観的に推認させるような行為は存在しないから、被告人の行った前記行為は、それ以前の同女の腹部を手拳で殴ったり、同女の手を引っ張り回して転倒させた行為と同様に、同女から罵倒され、顔面を叩かれたことに対する腹立ちと同女に騒がれたことによる狼狽に基づく一連の暴力行為であったとみるのが相当である旨主張する。

しかしながら、被告人は抵抗する同女をスタンガンで失神させたうえで裸にして強姦しようと考え、同女をベッドの上に押し倒し、スタンガンを右首筋から右鎖骨付近に押し当てて放電したが、同女に抵抗され、スタンガンを同女の額に突き当て多量の血が吹き出したため強姦する気持ちがなくなったことが認められるから、原判決が「同女をベッドに押し倒しスタンガンを同女の右肩付近に押し当てて放電させた」行為をもって強姦罪における暴行と認定した点に誤りはなく、それ以上に所論のような行為に出なかったことが右認定の妨げとはならない。

更に所論は、被告人が屍姦などの行為にも出ていないことをもって強姦の犯意がなかった旨主張するが、同女は多量の血を流し凄惨な状況にあったから姦淫の意思を喪失したと認められることや強姦の意思をもつ者が屍姦するとは限らないから、所論は失当である。

2殺意について

所論は、被告人は同女を静かにさせようとしてその口を押さえていた右手が滑って喉仏付近を押さえたところ、同女の声が小さくなったので、その状態を維持するために両手で喉を押さえ続けたもので、同女が窒息死するとは考えていなかったし、被告人には殺意を抱く動機がなかった旨主張し、被告人は原審及び当審公判においてこれに沿う供述をする。しかしながら、喉を締めるという行為が窒息死に直結するものであることは明らかであり、その他原判決が認定するその際の被告人の行動等に照らし、被告人の右公判供述は到底信用できない。また、動機について原判決の認定説示するところは正当として是認できる。所論は採用できない。

三  量刑不当の主張について

論旨は、被告人を懲役一七年に処した原判決の量刑が重きに失する、というのである。

所論にかんがみ記録及び証拠物を調査し、当審における事実取調べの結果をも参酌して検討するのに、本件は、かねてより交際を希望し、これを断られていた被害者に対し詐言を弄してモーテルに連れ込み、肉体関係を結ぼうとしたところ、同女に強く拒絶されたことから、強姦しようとして所携のスタンガンを放電させあるいはこれを額に突き当てるなどして傷害を負わせたが、抵抗されて目的を遂げず、次いで犯跡を隠蔽するため抵抗する同女の頸部を両手で締め付けて殺害したうえ死体を山道脇の崖下に投棄したという強姦致傷・殺人・死体遺棄の事犯であって、その罪質、態様、動機、結果、殺害や死体遺棄の犯行後の行動、被害者の無念と痛恨、被害者家族の悲嘆、社会に対する影響に徴し、被告人の刑責はまことに重大であり、姦淫行為が未遂に終わっていること、被告人には業務上過失傷害罪による罰金前科が一犯あるにとどまることなどを考慮しても、原判決の量刑が重きに失するとはいえず、論旨は理由がない。

よって、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却することとし、当審における未決勾留日数の算入につき刑法二一条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 重富純和 裁判官 川上美明 安廣文夫)

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